芸能人の訃報をSNSシェアして「いいね!」する文化とアドセンス広告で稼ぐこと

マリア 天使 石像

2017年6月23日、フリーアナウンサーでキャスターの小林麻央さんが逝去されました。

闘病中でも継続した情報発信は、同じ病気の方その他に対して大きな勇気を与えていましたよね。死の恐怖と隣合わせの中、時に素直にそれを吐露しながらも気丈に振る舞う姿勢に、強く美しい女性の凛としたものを感じました。心からお悔やみ申し上げます。

芸能人や著名人の訃報は注目度が高く、マスコミが我先に取材に動くのは仕方のないことかもしれません。しかしながら、今回はかなり度が過ぎた無神経なものもあったようです。

その前日から自宅に殺到したり、街頭での配慮に欠けたインタビューなどの事実が公になっています。マスコミの対応に閉口するのは今に始まったことではありませんが、世見の興味がそこにあることを知っているからこその行動ともいえるはずです。

そして、それよりも悲しくなるのは、マスコミから不謹慎な質問を受けたというつぶやきに対する真偽を問うような議論です。リツイートを目的に事実捏造ではないかと、批判の声が多く上がっていました。

つぶやきが嘘なのか、それを問う人が歪んでいるのかはわかりませんが、いずれにせよ議論そのものが不毛であり、心が痛みます。

また、FacebookやTwitterなどのSNSでもかなり多くのシェアがされ、それに対しての「いいね!」やリツイートも相当な数だったと思われます。その事態に違和感を抱いた人も、少なくなかったのかもしれません。

アドセンス広告を貼ったトレンドブログ、YouTubeのスライド動画も例外ではなく、おそらく多くの記事が公開されたことでしょう。

  • そういった稼ぎ方で胸を張れるのか
  • 人道的に、倫理的に問題はなのか

さまざまな価値観があり、賛否の分かれるセンシティブなところでしょうが、個人的には「意図と内容」次第ではないかと考えています。

そのことについて、僕の考えを記しておきます。

公開意図を明確にすること

何年も前から云われていることですが、訃報に対しての「いいね!」につていは意見を分けるところです。最近のFacebookだと「悲しいね」や「ひどいね」などのリアクションを付けることが出来るようになりましたが、それでもほとんどの場合1番多く「いいね!」が付けられています。

これは「いいね!」が直接Goodを指しているのではなく、同意や「読みました」のサインを意図したものでしょう。とはいえ、その字面的にも気持ちのいい印象を受けない人は少なくないのかもしれません。

そういった誤解を避けるためにも、シェアする意図を明確にすることが大切だと思っています。ただシェアするのではなく、自分の考えや意図を明文化しておけば、訃報にではなく、意思に対する「いいね!」となりますから、誤解を避けられることに繋がります。

ブログを書く場合にも、なぜ訃報について記事を書くのかをはっきりさせ、特に序文で明確にしておくことで、誤解を避けるだけに留まらず価値の高いものに変えるはずです。

記事内容で感謝と価値を伝える

芸能人の訃報をSNSシェアして「いいね!」する文化とアドセンス広告で稼ぐこと

ブログで書く場合として更に必要なことは、故人を偲ぶとともに感謝や与えられた学びからなる、自分のメッセージとして伝えることではないでしょうか。

活躍時に与えられた感動や笑顔、命に対する考え方。さまざまなものを受け取っているからこそ、自分のフィルターを通して世に伝えたいと気持ちが動くはずです。それらをしっかりと文章化し、より多くの人に伝えてこそ意味のあることではないかと思っています。事実だけを書いても意味がないのですから。

稼ぐことに執着しないアドセンス広告

やはり稼ぐことだけに目がくらむと、ろくなことはありません。アドセンスサイトで稼ぐことを念頭にする場合、訃報に限らず著名人のゴシップやスキャンダルを扱う人は相対的に多くなることはあるでしょう。

その方向性の記事は倫理観に合わないため、僕のビジネスプロデュース企画「Prelude」のメンバーに対しても推奨していません。というか僕の発信に共鳴した方たちなので、言われるまでもなく記事や動画にすることはないです。とても誇らしく感じます。

そもそも、そういった超短期的なアクセス爆発を狙わなくとも大きく収益化させることはできます。目先の【日当】に目がくらみ、家族に胸を張れないような仕事をするべきではありません。それは法的に問題ない、規約に抵触していないといった次元の話ではないのです。

ビジネスですから。ぬるい事を言っていても仕方がありませんが、大人が「やっていいことと悪いこと」の分別も付けられないようでは先行きは暗くなるばかりです。

だからといって、先にも触れた通りどんな場合でも不可とは考えていません。

少なくともいたずらに検索需要だけを調べ、関連キーワードを散りばめた報酬目的の記事でアクセスを集めるのではなく、しっかり自らのメッセージを内包する記事を書けばいいと思います。そんな記事ならば、アドセンス広告などからの広告収入を手にすることに、誰に後ろ指を指されるいわれもないように感じるからです。

つまり、あくまで価値の提供であり、その返礼としての報酬。価値の交換であるということです。

主人公としての行動

遺族や関係者のことを思えば、しばらくは静かに見守るべきなのかもしれません。

もちろん死者に鞭打つような書き込みや根も葉もない噂を書き立てること、本人や遺族らが望みようのない過去の出来事を掘り起こすことなどは論外であり軽蔑しか感じません。しかしながら、有名人であるがゆえのパブリシティ権を論じるつもりではなく、ただ全てを避難する必要もないと思うのです。

冒頭で触れたマスコミの行動のように、需要があるから供給があります。情報の受信側も意識を変える必要がありますが、僕たち発信側の意識もしっかり軸を認識する必要があります。

「お天道さまが見ている」

自分思い描く物語の主人公が、その行動を取るのか。後ろめたさもなく、描き続けていけるのか。

このStoryの主人公である責任を、僕たち一人ひとりが背負っているのです。

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マリア 天使 石像

ABOUT運営者情報

北海道出身、東京都在住。幼少期から音楽に触れ、ビジュアル系バンドでの活動を経て作曲家へ。その後、大手IT金融グループ社員を経て独立。現在はアフィリエイトやネットマーケティングのコンサルティングを通じて、研鑽の日々を送っています。